妻と息子が映画「怪物くん」を観にいくということで、映画館が入るショッピングモールまで連れて行った。公開初日ということでチケットがとれるか微妙なところだったが、とにかく二人ともしっかり楽しめたようだ。その間、自分はスタバに行って、チャイコフスキーを聴きながらカメラ雑誌やらカタログやらを見るという至福の時間を過ごしたのだった(笑)
映画館にて
妻と息子が映画「怪物くん」を観にいくということで、映画館が入るショッピングモールまで連れて行った。公開初日ということでチケットがとれるか微妙なところだったが、とにかく二人ともしっかり楽しめたようだ。その間、自分はスタバに行って、チャイコフスキーを聴きながらカメラ雑誌やらカタログやらを見るという至福の時間を過ごしたのだった(笑)
念願
今年一番のうれしい出来事、ついに二人目を授かった。長い道のりだった。
無事に来年6月に生まれてくれれば、息子とは6歳の年の差。ちょっと年は離れたけど、そのぶんお兄ちゃんらしく面倒見てくれるんじゃないかと期待する部分も。。この子が生まれてくる来年は、もっと良い年になってくれることを願うばかり。父ちゃんは頑張って働かなくては (^^;
PAにて
1週間ぶりに妻と息子を群馬に連れて帰る途中、高速のパーキングエリアにて。この時期にしては暖かいくらいの陽気で、息子も走り回って満足の様子。久々に保育園に行くのが待ち遠しいとのこと、ちょっと成長したのかな。。(笑)
宇都宮往還
妻と息子を宇都宮の実家へ送り届けるため、まずは3人で車で出発した。実家では妻が運転できる車がないため、乗っていった車は残して自分だけ電車で群馬まで帰ってくることになった。
あまり時間がなく、自分が実家に滞在できた時間は2時間足らずだったが、義父は病気のことや、これまでどんな人生を歩んできたかを語って聞かせてくれた。もちろん、そういう話を自分にしてくれるのは本当にうれしいことだが、突きつけられた現実の厳しさをひしひしと感じ、辛かった。カムバックを果たして、もっとたくさんの話を聞けると信じたい。
帰り道、夜のローカル線電車に長いこと揺られたが、なかなか寂しいものだった。久々に高崎駅に降り立ち、ホームの立ち食いに寄った。あたたかくて、懐かしかった。
飛行機雲
義父が末期の胃がんであることがわかった。本当に、今年は年明け早々に祖父が倒れたことに始まり、震災があり、祖父が亡くなり、そしてジョブズも。。つくづく受難の年だった。とにかく、状況は厳しく、まずは来週より抗がん剤治療を始めることになった。
とはいっても、義父はまだ60代半ば。まだまだ元気でいてもらって、息子にとってただ一人のおじいちゃんとして成長を見守ってもらわなくてはならない。それに義母は半身マヒの残る身体なので尚更だ。そんなわけで、来週からの入院に合わせ妻は手伝いとして1週間ほど実家に帰ることになった。保育園の送迎が厳しい関係で息子も行くことになった。
この晴れやかな空のように、これからは事態が良い方向に向かっていってくれることを願ってやまない。
金魚鉢
怒濤の数日間が過ぎて、最初の週末を迎えた。弔問にいらしたお客様への挨拶で実家に顔を出したのを除けば、のんびり過ごした。やったことといえば、Amazonから届いたブラームスの弦楽四重奏曲全集(プラハ弦楽四重奏団)と、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(諏訪内晶子のコンクール優勝記念ライブ)を聴いて、金魚に餌をやり、そしてひたすら昼寝したことくらいだろう。
祖父の葬儀を思い返してみると、確かに義父が言っていたように「祖父の人柄がにじみ出たいいお葬式だった」と思う。いただいた弔辞や弔吟から、祖父がどんな人だったのか、どんな人生を歩んできたのかが少し分かったような気がする。新たな発見もあった。
祖父が生前によく「生涯学習」を口にしていたが、その通り、詩吟の指導から薪割りや屋根の補修に至るまで、最後まで現役だった。やはり一時は死を覚悟した戦争での体験や、復員後に水害に遭ったことなどが人生観を変えたのだろうか。20年くらい前に祖父が書いた戦争体験の手記が残っているので、落ち着いたらじっくり読んでみたい。
祖父、旅立つ
10月30日朝、祖父がこの世を去った。88歳だった。今年1月5日に入院してから10か月あまり、献身的に支えてくださった病院の方々には感謝するばかりだが、祖父も懸命に頑張ったと思う。母と祖母も毎日よくお見舞いに行った。祖父を看取ることができたが、最期は随分と安らかなものだったと思う。その後は慌ただしく通夜、告別式を終えた。
早くに自分の父が他界してからは、祖父は父親代わりだった。自分が故郷に帰って居を構え、新しい仕事への転職を決めたことをとても喜んでくれた。そしてこれからというところだった。ただ、祖父自身や祖父の残したものは、これからも自分の中に生き続けることだろう。