ショスタコーヴィチ/交響曲 第7番「レニングラード」

このところの私は、先日エントリしたバルトークの「オケコン」が旬な音楽となっていますが、今日はその曲中に突如パロディとして登場する、ショスタコーヴィチの交響曲第7番 ハ長調 Op.60「レニングラード」です。

演奏は、マリス・ヤンソンス指揮/レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団です(ソ連崩壊後は地名に合わせてサンクトペテルブルク・フィルに改称)。ということで何といってもこの音楽を、ご当地レニングラードのオーケストラがソ連崩壊直前(1988年)の時期にどう演奏しているのか非常に興味がありました。

この交響曲第7番は、ショスタコーヴィチの故郷レニングラードがドイツ軍の激しい攻撃にさらされた最中に着手されています。また初演当時は「ナチスによる戦争惨禍と、それに対する戦いを描いた大規模な交響曲」ということでアメリカなど他の連合国でも人気を呼び、トスカニーニ/NBC響をはじめ盛んに演奏されたものをバルトークが聴いたようです。

この音楽で何といっても目を引くのが、バルトークの「オケコン」にも出てきた第1楽章の「戦争のテーマ」といわれる旋律。小太鼓のリズムの上を、明るく短いフレーズがクレッシェンドしながらずっと繰り返されるという、いわゆる『ラヴェルのボレロのようだ』と言われる部分でしょう(そういう意味ではボレロ好きの方にもおすすめです(^^ゞ)。

この「戦争のテーマ」は、はじめこそ規律正しい行進の様子というだけですが、次第に勢いを増してエスカレートしていく人間の心理と恐怖をうまく表現しているように思います。ヤンソンス/レニングラード管の演奏には余計な飾り気がなく、かえってその辺の生々しさが浮き彫りになっている気がします。

ただ、作曲者本人が「ヒトラーだけでなく、スターリンによる粛正の恐怖も織り込まれている」との後日談を残しているそうですが、そのフィルターを通したからか「のどかで平和だった頃の街の風景(第2楽章)」や「廃墟と化した後の街の様子(第3楽章)」の奥底には、倦怠感とか陰鬱なオーラが漂っています。元々それが「ショスタコらしさ」なのかもしれませんが、オケも肌で感じて受け継いだものを発揮しているかもしれません。

フィナーレで訪れる勝利は、そんな恐怖全てからの脱出という意味にもとれますし、最後に連呼される「タタタター」のリズムが勝利(Victory)の"V"の字をモールス信号で表しているという説(そういえばベートーヴェンの運命のテーマと同じ)とかも含めて、あれこれ想像させられてしまうところがショスタコーヴィチの巧さといえるかもしれませんね。
posted by stonez | 2005.11.30 12:45 | Comment(12) | TrackBack(2) | 音楽 - 交響曲

ブラームス/交響曲 第3番

昨日の東京は雲ひとつない、素晴らしい秋晴れの一日でした。でも、天気予報によるとこれから雨。寒くなるかもしれませんので風邪には注意が必要ですね。そういう私は先日さっそく風邪ひきました(*_*)

さて、いつもお世話になっているensembleさんのブログで「秋はブラームス」キャンペーンをされていますが、私もそれに賛同して、ブラームスの「交響曲第3番 ヘ長調 Op.90」でいきたいと思います。演奏は、ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団

この音楽には、落ち着いた紳士の魅力みたいなものを感じます。それは、この曲にスケルツォやメヌエットといった舞曲のお祭り気分がないこともあるでしょうし、どの楽章も弱い音に始まり、弱い音に終わることが貫かれているからかもしれません。フィナーレでさえも慎ましく終わるほどです。

それでいて退屈するような平坦さはなく、感情の起伏が心地よくセーブされながら美しく響いてきます。これを見事に引き出しているセルの演奏も素晴らしいですし、この味がブラームスの渋さたる所以なのでしょうか。激しく目を見開いて快感を得るようなベートーヴェンの音楽も好きですが(笑)、そうでない気分の時もあるからこそ、この音楽は大切な存在です。

第1楽章のアレグロ・コン・ブリオは、颯爽としているけど突き抜け過ぎない快適さ。私の好きな、クラリネットのソロもすがすがしく美しさに花を添えています。第2楽章は、そのクラリネットが気品のある演奏を披露してくれますし、木管と弦の穏やかな対話が心地よく。第3楽章は、旋律の美しさが有名なセンチメンタルな楽章ですが、セルが引きだすのは透明感のある音色。終楽章は劇的な輝き。葛藤を表現したような、ダイナミックな掛け合い。最後は解き放たれたような安らぎとともに幕を閉じます。

この第3番は、ブラームスが若きアルト歌手に思いを寄せていた頃作られたそうです。セルの演奏からは、そんなブラームスの慎ましやかな思いが伝わってくるかのようです。秋にぴったりの穏やかで味わい深い音楽です。

Tags:セル 
posted by stonez | 2005.10.14 00:39 | Comment(16) | TrackBack(9) | 音楽 - 交響曲

サン=サーンス/交響曲 第3番「オルガン付き」

ふと、サン=サーンスが聴きたいと思い、引っ張り出してきたCDの中から、交響曲第3番「オルガン付き」をよく聴いているこの頃です。演奏は、マリー=クレール・アラン(オルガン)、ジョルジュ・プレートル(指揮)、ウィーン交響楽団という布陣。

サン=サーンスはフランスを代表する作曲家、そして有名なオルガニスト、ピアニスト。作風は色彩感がありながらも古典的という印象、しかも依頼を受けてからかなり短い期間で作曲できてしまうという、作曲ペースの速い方だったようです。

それからリストとの親交が深く、この曲の初演を祝ってくれた直後に亡くなった彼のために、出版される際に「リストとの思い出に」と記されたとのこと。いい話です。

この「オルガン付き」は、タイトル通りパイプオルガンとオーケストラが絡み合った壮大な音色が魅力。ただ、オルガンが常に演奏されているわけではなく、ポイントを押さえた登場と音量の使い分けが絶妙です。オーケストラにオルガンを用いた作曲家は他にもいますが、この曲のように主役級の扱いというのは少ないようです。サン=サーンスのオルガン奏者としての知識なくしては生まれなかったかもしれませんね。

曲は、第1楽章のなかに第1部と第2部、第2楽章にも第1部と第2部があり、いちおう4楽章の同等の構成です。それぞれ異なるきれいなメロディが素敵ですが、「循環形式」とよばれる全曲共通の主題を用いているからか、曲全体に一体感が感じられます。

第1楽章は、静かで厳かな序奏の第1部と、オルガンの優しい響きの上に弦楽器の音色が美しい第2部。つづく第2楽章の第1部は、華麗なスケルツォ。ピアノも参加して美しさに花を添えています。第2部はオルガンの見せ所。オルガンに始まりオルガンに終わるといってもいいほどです。そして、そのオルガンと共にピアノとオーケストラが加わった贅沢な響きが感動のフィナーレを演出!という、まさにそんな感じです。

石造りの西欧建築を思わせる均整のとれた重厚な響き。
そんな、アラン/プレートル/ウィーン交響楽団による演奏でした。
posted by stonez | 2005.09.23 16:49 | Comment(14) | TrackBack(5) | 音楽 - 交響曲

マーラー/交響曲 第1番「巨人」

今朝は、家を出たときからマーラーの交響曲第1番 ニ長調「巨人(Titan)」を聴き始め、仕事先に着くところでちょうど演奏が終了しました。通勤時間にほぼぴったりの演奏時間(笑)

私の場合どちらかというと、マーラーはこれまであまり聴いてこなかった音楽に入りますが、この「巨人」だけは例外的に高校生の時から聴いている馴染みの曲です。そんなわけで、いくつか聴いた中でのお気に入りのCDは、今日も聴きましたがズービン・メータ指揮/イスラエルフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

決め手は、なんといっても作曲者本人によってカットされてしまった幻の第2楽章「花の章」が収録されていること。確かに「巨人」という標題が似合わないほど、優美な旋律の楽章ではあります。(ただ、その後「巨人」という標題も取り除かれてしまったものの、愛称として定着しているようです)

メータ/イスラエルフィルの演奏には、間合いを自在にコントロールした聴きやすさを感じます。第1楽章の森の自然を感じさせるような旋律は、ゆったりした心地よさですし、センチメンタルな第2楽章「花の章」は、テンポを落としてじっくり歌いこまれています。どこまでも続きそうな安らいだ時間は、緩徐楽章好きの私にはこたえられません。トランペットの音色が本当に美しい!マーラーはこの曲の後、どうせ交響曲の概念に捕らわれない多くの音楽を作ったわけだから、この楽章を残しておいて欲しかったなぁ・・・

第3楽章は、鮮やかに彩られた活発なスケルツォ楽章。メータの躍動感に満ちた堂々とした演奏は快感です。第4楽章は、足取りまで見えてきそうな葬送行進曲。続いてやってくるオリエンタルな旋律は響きにどことなく懐かしさを感じてしまいます。そしてクライマックスの第5楽章は、絶望の淵から天国の楽園へ。聴かせどころの激しい部分は、わざとテンポを落とし、打楽器のタイミングをブレさせているので、より派手に聴こえてきます。

まさに熟練を重ねたツボを押さえた演奏と、タイタンの名にふさわい猛々しさを備えた演奏でした。
posted by stonez | 2005.09.21 01:06 | Comment(17) | TrackBack(6) | 音楽 - 交響曲

ベートーヴェン/交響曲 第1番

このところ仕事が忙しくなり、日付をまたぎながら帰ることが多くなりました。それでも、このあとには3連休が2回も控えているわけですから気が楽です。あとは休日出勤にならなければ...。ところで、日中でも袖をまくり上げていると、少し涼しく感じるようになりました。音楽をじっくり楽しむのに最適な気候です。

今日はベートーヴェン作曲、交響曲第1番 ハ長調。指揮カルロ・マリア・ジュリーニ、ミラノ・スカラ座フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。ベートーヴェンが練りに練った上で、満を持して世に送り出したといわれるだけあって、わずか30分の中に交響曲の要素や面白みが凝縮されていますね。しかも、初期のピアノ協奏曲ようなモーツァルト風というか古典風な装いはそれほどなく、ベートーヴェンらしい新鮮な感覚が感じられます。

そしてジュリーニ・スカラ座フィルの演奏。いくつかの指揮者・演奏家の録音を聴いたあと、やっぱり最後はここに戻ってきます。厚みがあって鮮明な美しさ、ゆったり進んでいく心地よさ。いつ聴いてもホッとします。最近車でよく聴く定番ソングの一つでもあります。密度が濃く、軽過ぎることのない音色なので、周囲の多少の雑音には負けない印象があります。

堂々とした序奏に続いて、適度なメリハリとともにじっくり歌い込まれた健康的な第1楽章。第2楽章は静かに美しく歌いこまれますが、必要以上に飾りがなくて聴きやすく、弦楽器の息の長いフレーズが印象的です。この演奏の醍醐味は、まさにこのアンダンテ・カンタービレにあると思います。続いて、非常に短い第3楽章はスケルツォを思わせる力強さ、躍動感のあるメヌエット。終楽章は、快活な楽しさにあふれています。それでいて、一音一音しっかりと創り出されていく音色。

ジュリーニの丁寧で精巧な音づくりと、スカラ座フィルの歌謡性あふれる演奏。
この演奏を聴くと、ちょっとした時間も贅沢に感じられます。
posted by stonez | 2005.09.15 22:04 | Comment(6) | TrackBack(3) | 音楽 - 交響曲

ドヴォルザーク/交響曲 第8番

このところ仕事が忙しくなってきました。そんなときの帰り道には、気分転換にどこか別の世界へ連れて行ってくれるような音楽を聴きたくなるものです。今日はそんな一曲です。

プラハ近郊ののどかな村。北には森が広がり、南には池のある谷間へと視界が開けています。そして、その池の向こうには教会のある丘が見えます・・・

これがチェコの代表的な作曲家ドヴォルザークが移り住んで、交響曲第8番をスケッチした場所の風景だそうです。そして、彼は義兄に「鳥の交響曲を作るつもりだ」と伝えたそうです。たとえ、そんなことを知っていようがいまいが、この音楽に触れてしまえば、そして、窮屈な通勤電車の中でも目さえ閉じてしまえば(笑)、そこには想像したボヘミアの風景が広がってくるから不思議。

第1楽章は、ボヘミアの物憂い夜明けから、小鳥のさえずりとともに明るさと活気に満ちた朝になる情景にぐっと掴まれ、第2楽章では広大な自然をいっぱいに感じますが、奥底に流れる悲しみは歴史の運命から来ているのでしょうか。でもそれを乗り越えた達成感は天に突き抜けるほどです。第3楽章は、一度聴いたら忘れられない物憂げなスラブ舞曲風ワルツ。伸びやかで素朴な美しさです。そして第4楽章は、鮮烈なトランペットとともに再び田園風景へ。明るさと熱気につつまれた変奏曲です。副主題はコガネムシのテーマ!興奮のうちに幕を閉じます。

ドヴォルザークはよく屈指のメロディメーカーといわれますが、まったくその通りだと思います。この第8交響曲は、穏やかで、素朴なチェコらしい印象を受けます。

そしてなによりもこの曲に豊かな響きと、奥行きをもった作品に仕上げているのは、ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管弦楽団による演奏だからでしょう。この録音はセルの亡くなる3ヶ月前、1970年の生涯最後のレコーディングのものですが、そんな最晩年にあっても、彼が長年磨き上げたオーケストラの音色の美しさはもちろん、全体が一つの楽器のように響いてくるのは驚きです。

聴き終わって再び電車風景に戻ったときの充実感が、それを証明してくれます。

Tags:セル 
posted by stonez | 2005.09.02 22:51 | Comment(20) | TrackBack(9) | 音楽 - 交響曲

モーツァルト/交響曲 第35番「ハフナー」

昨日の台風は久々に関東地方に猛威を振るいましたね。午後出勤した職場の人の話では、川崎市内の某駅前ではヒザの高さまで水没していたとのこと。靴を脱いで裸足で歩いという話を聞いて心配しましたが、とりあえず夜は帰れたのでよかったです・・・

そして今日は、台風一過の青空!と思いきや、どんより曇ってました(笑)。気を取り直して、そんな台風一過の帰り道に聴いたのが、モーツァルト作曲、交響曲第35番 ニ長調 K.385「ハフナー」です。演奏はレナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ハフナー交響曲は、モーツァルトの後期6大交響曲の最初の曲ですが、彼らしい格調高い美しさの中に、程よいアクセントが散りばめられていて気持ちよい仕上がりです。

冒頭のオクターブの跳躍や、弦楽器の駆け上がは嵐のあとの輝き。瑞々しさが溢れていて非常に印象的なテーマです。モーツァルト自身が、まさに「火のように激しく!」と言ったにふさわしい第1楽章です。続いて、日も暮れた家路への帰り道そのものの第2楽章。BGMともいえるような優しい旋律は、もともとの用途がセレナード(夕べの音楽)であったことを想像させます。

第3楽章は、ウィーン風の美しいメヌエットです。シンフォニックな主部に続き、中間部では木管の優雅な旋律が印象的。終楽章は、息をつかせぬプレスト(急速に)で始まります。バーンスタインが、ダイナミックさと各楽器のまとまりの良さを十分に引き出せているからか、違和感なくあっという間に一気に終わってしまうフィナーレです。

ところで「ハフナー」は、ザルツブルクの富豪ハフナー家のために作曲されたことに由来しています。2曲の「ハフナー・セレナード」が作曲されていますが、そのうちの2つ目を演奏会のために4楽章に組み直されたものが、この交響曲第35番「ハフナー」です。
posted by stonez | 2005.08.26 23:48 | Comment(4) | TrackBack(1) | 音楽 - 交響曲

マーラー/交響曲 第8番「千人の交響曲」

ついにやってまいりましたね、梅雨明けとともに本格的に夏到来です。夏といえば海!海といえばビール(笑) 海ナシ県出身、冬生まれで色白の私にとっては、まさに憧れの季節。うだるような暑さに、立ち昇るかげろう。確かに冷房がなければとても過ごせない不便な季節でもあるのですが、それでも好きなんです。

季節も変わりましたし、ここは一つ気分を切り替えて新しい曲といきましょう。高校生の時にCD買ったまま、棚で寝かせて10余年。マーラー作曲 交響曲第8番「千人の交響曲」です。演奏は、エリアフ・インバル指揮/フランクフルト放送交響楽団ほか

オーストリア人のマーラーは、ワーグナーやブルックナーの流れをくむ19世紀後期ロマン派の作曲家ですが、当時はウィーン国立歌劇場の音楽監督やウィーン・フィルの指揮者としての方が知られていたようですね。そんな彼が、作曲に専念する為に地位を退いて作曲にとりかかったのが、この「千人の交響曲」です。時間的にも余裕があったためか次々構想が浮かび、最終的には大編成のオーケストラに加えて、オルガン、8人の独唱歌手、混声合唱団が2組必要な上に児童合唱団までいるという、初演時には1000人を超す巨大な規模となったことから、マネージャーが宣伝用にこの「千人の交響曲」というキャッチコピーを作ったそうです。

これまで、彼の曲は「巨人」と「復活」を聴いたことがありますが、何しろ演奏時間の長い曲が多く、私の1時間の通勤時間内に完結しなかったりするので、あまり聴いていませんでした。でも改めて聴いてみると、スケールの大きさが快感ですし、色々な楽器を使った音色やコーラスが出てくるので、全く飽きないですね。

この「千人の交響曲」は、全体は2部(楽章)構成となっていて、第1部の 讃歌『あらわれたまえ、創造の主、聖霊よ』は、最初からパイプオルガンと混声合唱で派手に始まり、全体的に歓喜という感じがします。それに声楽が入るとやはり盛り上がりますね。あっという間の23分でした。第2部は『ゲーテ「ファウスト」より終景』。ファウストのことはよく分かりませんが、宿命を感じさせる暗さがドイツ語のコーラスと交わって神秘的です。児童合唱団が出てくるとメルヘンチック!この楽章も音色やハーモニーが変化に富んでいますし、生命力を感じます。これはインバルさんの指揮によるところも大きいのでしょうね。宇宙規模の大きさです。最後には感動的なフィナーレで華やかに幕を閉じます。54分。で合計78分。

10余年寝かせた甲斐がありました(笑)こんな面白い曲もあるんですね。というか、これって交響曲なんですか?まあでも、こういう曲を聴いてしまうと「通勤時間が足りないなぁ」なんて変なことを考えてしまいます。まったく不思議です。
posted by stonez | 2005.07.21 23:04 | Comment(12) | TrackBack(4) | 音楽 - 交響曲

ベートーヴェン/交響曲 第6番「田園」

ベートーヴェン作曲、交響曲第6番「田園」は、「運命」でおなじみの交響曲第5番と同時期に作曲され、同じ日に初演されています。ただ「運命」はのちの人たちが呼んだニックネームに過ぎませんが、交響曲第6番は、タイトルの「田園」から各楽章に至るまでベートーヴェン自身によって表題付けされています。そして、面白いのはベートーヴェン本人による説明です。

この田園交響曲は、田園の風物を音で描写したのではなく、田園での喜びが人々に与える感情を描いたものである


 第1楽章「いなかに着いた時の愉快な気分」
 第2楽章「小川のほとり」
 第3楽章「いなかの人達の楽しい集まり」
 第4楽章「雷と嵐」
 第5楽章「牧歌、嵐の後の喜びと感謝」

この頃のベートーヴェンは既に聴覚に問題を抱えていて、そのことが風景や音そのものから、呼び起こされた気持ちへと向かわせたのかもしれません。となると私が行ったことのないベートーヴェンゆかりの地、ドイツ・ハイリゲンシュタットの田園風景を想像できなくても、考えようによっては、この曲を聴きながら私が生まれ育った水と緑が美しい日本の田園風景に感情移入することもできるということですね。

というわけで今日は、ベートーヴェン作曲 交響曲第6番「田園」を、指揮ハンス=マルティン・シュナイトさん、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の演奏で。今年3月29日に川崎市のミューザ川崎シンフォニーホールにて行われた、神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会での録音です。

印象的なのは、第1楽章の出だしからしっとりと響いてくる弦楽器の音色です。その響きは、出るべきときは激しく、抑えるべきところは繊細に、シュナイトさんの指揮にきっちり応えながら進んでいく神奈川フィルが想像されます。

第1楽章の副題などは、思わずワクワクしてしまうような盛り上がり。小川のほとりの様子も鳥のさえずりも心安らぐような穏やかさがあります。一方で、人々の活気や雷鳴の思い切った激しさなどは生々しくリアルに。聴いていて飽きません。フィナーレの安堵感に満ちた感謝の気持ちまで、一気に聴き終わりました。録音の状態もいいですし、低音もよく効いていると思います。

小さい頃跳びまわった故郷、水と緑にあふれる田舎での記憶が目に浮かぶような、楽しい演奏でした。是非、次はコンサートに足を運んで生の音に触れてみたいと実感したのでした。

リンクです。yurikamome122さんによる、このCDのレビューです。
ベートーヴェン作曲、交響曲第6番「田園」 シュナイト指揮、神奈川フィル

そして演奏会当日のレポートです。yurikamome122さんの興奮が伝わります。
神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会 ”名匠シュナイトの「田園」”
posted by stonez | 2005.07.03 22:59 | Comment(4) | TrackBack(4) | 音楽 - 交響曲

ショスタコーヴィチ/交響曲 第5番「革命」

今日は私が最近よく聴いている曲から。旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」で、演奏はレナード・バーンスタイン指揮/ニューヨーク・フィルハーモニック

この曲、演奏を何の予備知識もなしに最初に聴いた時の印象は「労働者の宿命と希望」というところでしょうか。
第1楽章は悲壮感。途中ピアノが入って刻み始めるリズム以降は、団結のイメージ。第2楽章は舞曲風のスケルツォ。メロディといいテンポといい、生産的な感じ。第3楽章は暗くてゆっくりした旋律は冷たく、苦悩している様子。終楽章は、あの有名な早くて激しい旋律で始まり、最後の最後にようやく希望が差し込む。

その後あれこれ調べてわかったのが、第2次大戦直前の1937年に完成されたこの曲には、独特の事情があったということです。当時のソ連の政治的な圧力です。この曲以前の彼の作品に対して、共産党からは「簡潔・明確・真実じゃないので人民の敵」というレッテルを貼られてしまい、しかも粛清される危険まで出てきたので、そこから脱出する為の作品を送り出す必要があったといいます。一説には娘の誕生により、彼は創作の自由よりも家族の安全を取ったのではないか、という意見もありました。

こうして、一見体制に従ったかに見えるこの作品、実は曲のあちこちで抵抗を見せていた、という指摘もありますが・・・素人の私には全く分かりません。でもクラシックの中では比較的新しく、ソ連崩壊からまだそれほど経っていませんし、ここは専門家さんの研究結果次第というところでしょうか。

少なくとも、そんな背景の中で初演されたこの「交響曲第5番」は大好評、ショスタコさんの名誉は回復し、今では20世紀を代表する交響曲の1つと言われていることは確かです。
posted by stonez | 2005.06.27 23:55 | Comment(4) | TrackBack(1) | 音楽 - 交響曲