神戸の夜景

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兵庫・小野の実家で一泊お世話になり、車に乗せてもらって再び神戸に戻ってきた。カワサキワールドも楽しんで、今日は兵庫で過ごす最後の夜。たまたま予約したホテルで観光タクシー周遊プランというのがあり、迷わず「六甲山の夜景コース」をお願いする。タクシーの運転手さんは、もちろん神戸にお住まいで当時の阪神・淡路大震災で被災されており、六甲山までの道中、街並を見ながら当時の様子を教えてくれた。大手企業のビルが、震災後にはショッピングセンターに姿を変えた場所もあり、この震災が街や人々に与えた影響の大きさを少しではあるが知ることができた。灘のお酒や、阪急や阪神、南海などの球団経営の話など、地元の人でなければ聞くことができなそうなものばかりで楽しかった。

タクシーは順調に進み、六甲山頂の展望台に到着。神戸から大阪にまたがる絶景を目にして息をのんだ。宝石箱をひっくり返したような、というのはこのためにある言葉なんだろう。残念ながら三脚がなかったのと腕前の関係(笑)で思ったような写真が撮れなかったが、また是非訪れたいと思わせるのに十分な光景だった。

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運転手さんはこのあと、ヴィーナスブリッジに連れて行ってくれた。恋人たちがここを訪れ、モニュメントに鍵(南京錠)をかけると永遠に結ばれるのだとか。確かにカップルを多く目にしたが、それにしてもここも眺めが素晴らしかった。六甲山とは違って、神戸の街がより間近に迫って見え、街の息づかいを肌で感じることができる。妻も息子たちも興奮の様子。日本三大夜景の中でも随一の規模と眺め、と胸を張る運転手さんの表情は誇らしげだった。今度来るときは三脚も持ってこよう。運転手さん、素晴らしい体験をありがとうございました。
posted by stonez | 2013.02.03 23:59 | Comment(2) | TrackBack(0) | 旅行記

神戸にやってきた

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妻の従兄弟の結婚式に招待されて、群馬から新幹線を乗り継いで神戸にやって来た。式を明日に控え、今日はハーバーランドに一泊。まずはなんといっても神戸ポートタワーと、その夜景が美しかった。タクシーの運転手さんは和楽器の鼓(つづみ)のようなデザインと言っていたが、自分にはマーメイドラインのウェディングドレスをまとった花嫁のように見える。高さはそれほどないが実にいいセンスだと思う。奥には波をイメージしたという神戸海洋博物館&カワサキワールドが、右手にはポートアイランドに通じる神戸大橋が見える。

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さて、そのポートタワーに上ってみると神戸の街が一望できる。北に六甲連山を間近にみることができ、その手前に市街地が東西に広がっているのがわかる。街並は、整然とビル群が立ち並んでいて、先の阪神・淡路大震災による甚大な被害の様子を想像させるところがなく、それがかえってこの街の人々の復興にかけるパワーを見たような気がし、思わず頭が下がる。手前の阪神高速も、橋脚が新しく頑丈になっているようだ。

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それほど時間はなかったが、シティーループという観光案内もしてくれる路線バスがあるということで、これに乗って市内を巡りつつ、南京町(中華街)で少し遅いお昼を食べた。当然といえば当然かもしれないが、華僑のおばちゃんが関西弁で気さくに話してくれたのが新鮮だった。長男坊は興奮の様子。次男坊は妻と交代で抱っこしたがご機嫌。今回は妻の兄も行動を共にして、お互いたくさん写真を撮った。明日は結婚式。晴れると良いが。
posted by stonez | 2013.02.01 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記

南イタリアの思い出4 〜マテーラ〜

去年の秋、生まれて初めて海外旅行(新婚旅行)に行ってきました。その思い出を写真とともにふりかえるこの旅行記。4回目は世界遺産にも登録されている洞窟の町、マテーラです。イタリアを長靴に例えると、ちょうど土踏まずのところにあります(地図)。


まずはこの写真を。高台の新市街を歩いていると、建物の切れ間から突然この幻想的な大パノラマが目の前に広がります!

これは古くは先史時代にまで遡れるそうですが、人々が凝灰岩の岩盤を掘り抜いてつくっていった「サッシ」とよばれる洞窟が幾重にも折り重なった様子なのです。一見カオスですが、洞窟の天井は上にある別の洞窟のための階段や通路になっていたりと、起伏の多い地形をうまく生かした、高密度でこんなにも迫力のある洞窟都市をつくりだしています。


その洞窟に近づいてみたのが上の写真です。どこまでが天然でどこからが人工物なのかよく分からないほど自然です。ただ、今でこそ世界的な評価を受けていますが、以前は「貧しさ」の象徴だったとのこと。16世紀のナポリ王国支配のもとでマテーラが栄えて貧富の差が広がった結果、裕福な人々は高台に住み、農民など貧しい人々が狭くて不便なこのサッシ地区に取り残されるという図式になってしまったといいます。


こちらの写真は洞窟内部の様子です。見学用に当時の様子が再現されているので、奥にいる馬は本物ではありません(笑)。でも、こんな感じで人間と家畜が同居していたわけで非衛生だったようですね。

そして、やがてここに住む貧しい人たちが高台の新市街へと強制移住させられた結果、このサッシ地区は完全に廃虚と化してしまいました。でもこの洞窟住居の価値が見直され、世界遺産に登録された今では逆に人々が戻って来つつあり、荒廃をくい止めるための動きも活発になっているそうです。中には、はるばる移り住んでくる外国人たちもいるとのこと、実際にこの目で見てみるとそれがわかる気がしました。


最後に、高台にある新市街の様子です。ここは現在ではマテーラ県の県庁所在地だそうですが、そうには見えないほど静かで落ち着いたたたずまいでした。日本で暮らしている私にとっては、これでも充分異国の景色なのですが、あれほど歴史にも印象にも残る光景とごく自然に共存していることに、改めて驚いたのでした。
posted by stonez | 2005.12.19 02:13 | Comment(6) | TrackBack(0) | 旅行記

南イタリアの思い出3 〜カプリ島〜

去年の秋に旅行してきた、南イタリアでの記憶を写真とともに振り返るというこの企画、3回目はカプリ島(地図)です。ナポリから小一時間フェリーに揺られたところにある小さな島です。


カプリ島は「地中海の真珠」と呼ばれているそうで、古くは古代ローマ時代にまでさかのぼる有数のリゾートです。島にはそれを証明するような、歴史と自然と色彩がたくさんありました。

それからカプリ島といえば「青の洞窟」が有名なのですが、季節がら波が高くて荒れていたので私は残念ながら見ることができませんでした・・・これからカプリ島へ、そして青の洞窟をご覧になりたい方は、春、夏の暖かい季節がいいですよ!あとは天気がいいことを祈りましょう(笑)


上の写真は「ウンベルト1世小広場」。港からケーブルカーで登りきったところにあるカプリの中心部は、世界中の観光客や著名人で賑わうサロンとなっています。正面は歴史のあるカプリの市役所。なのに一階はブランドショップが普通に軒を連ねていたりします。またカプリは驚くほど治安がよく、夜も身軽に歩きまわることができます。そんな意味ではナポリと対照的です。


こちらもカプリ島の歴史を感じさせる1コマ。ウンベルト1世小広場の入口にある時計塔です。青空と、時計の黄色と、紫と緑に彩られたツタの色合いがよく合っていました。それにしても安野光雅さんの絵本に出てくるような、何ともいえない味がある時計塔です。


今度はカプリ島の自然です。アルコ・ナトゥラーレといわれる、地殻変動と浸食によってできた天然のアーチ越しに海を望みます。カプリ島は青白い石灰質が多く、それが陽光を反射すると、このような独特のブルーになるそうです。う〜ん、やっぱり青の洞窟見てみたかった!


最後は印象に残ったカプリの色彩から。通りがかったホテルの写真にしてみました。このように地中海沿岸らしい暖色系を中心とした鮮やかな色合い。そして片言ながら、この近くに住むおじいさんと楽しく会話したことは忘れられません。

少ない面積の島に散りばめられたたくさんの色彩。そして、冷やかしで店に入るだけでも気軽に挨拶を交わす習慣があったり、また本片手の会話でも気さくにマジメに応じてくれる人々との出会いは、生まれて初めて味わった喜びでした。いつかお金と時間をためて、また遊びに行ってみたいものです。
posted by stonez | 2005.11.27 00:07 | Comment(7) | TrackBack(1) | 旅行記

南イタリアの思い出2 〜ポンペイ〜

今回の南イタリア旅行記は、前回のナポリから南東30キロの距離にある世界遺産「ポンペイ遺跡」です(地図)。子供の頃に本で読んでからというもの、是非ともこの目で確かめたい場所の一つでした。

ポンペイといえば、西暦79年のヴェスビオ山の大噴火によって、逃げ遅れた約2千人とともに一夜にして埋没した古代都市。実際に目の当たりにすると、紀元前4世紀頃から繁栄し、最盛期の人口は2万人というのも納得の広大な遺跡でした。


上の写真は、背後にヴェスビオ山を望むフォロ(公共広場)。悠然と鎮座しているヴェスビオ山がちょっと不気味です。山までは思ったより距離がある印象でしたが、まあこの大きな町が完全に消滅してしまうくらいですから、想像を絶する大噴火だったに違いありません。

ただそんな悲劇的な反面で、遺跡そのものは火山灰によってまるごと真空パック状態になっていたことで、まさに2000年前の町が状態よく保存されていたわけですね。


こちらの写真は、ヴェスビオ山の方角に向かって一直線に延びる通り。馬車の走る車道と、歩道がきっちり分けて整備されています。他にも車止めや、人が車道を渡る時の飛び石など、歩行者にやさしい設計が随所に見られます。


上の写真は「フォロの浴場」の一角。目にも色鮮やかなアレンジがなされていますが、2000年前と2000年後のコラボレーションは自然な印象です。ちなみに浴場には、床暖房の設備が整っていたりして文明の高さが伺えます。

遺跡には、他にもスポーツジム、パン屋、居酒屋、洗濯屋から売春宿まで・・・2000年も前なのに、たいして現代人と変わらない生活ぶりには驚きです。


ポンペイといえば壁画とモザイク画の町。上の写真はよく知られたモザイク画「猛犬に注意!」。小さなタイルをびっしり敷き詰めたその輪郭には独特の味があります。床という、毎日足で踏みつけるような所にさりげなく芸術品を配置するとは、ポンペイの人は粋なことをするものです。


最後は、町から少し離れたところにぽつんと立っている「秘儀荘」の壁画。ポンペイではこのように壁画に赤が用いられていることが多く、「ポンペイの赤」と呼ばれています。これがまた鮮やかで美しい!

他にも、人に灰が積もって空洞化したところに石膏を流し込んで再現された人型が、生々しい自然災害の恐怖を伝えるなど、とにかく目にするもの一つ一つが発見と驚きの連続でした。そしてポンペイの高度な文化や、2000年後に住む私たちと変わらぬライフスタイルを知り、より興味と親しみが深まったのでした。
posted by stonez | 2005.11.08 12:40 | Comment(6) | TrackBack(0) | 旅行記

南イタリアの思い出1 〜ナポリ〜


ちょうど一年前の今頃になりますが、イタリア南部を旅行してきました。私が海外初めてだったのと、新婚旅行ということで無難なパックツアーにしましたが、とにかく楽しい思い出になりました。一年経ってまたこの季節を迎えた折、忘れないうちにその記憶を残しておきたいと思います。

最初はナポリ。ローマ、ミラノに次ぐイタリア第3の都市として、またカンパーニア州の州都としてその歴史はギリシア時代からと古く、地中海沿岸で最も美しい港町と言われています。

そんなナポリは、私が初めて踏んだ海外の地となりました。夜更けにナポリ空港に着いた私達一行を出迎えてくれたのは、荷物運び(?)などの仕事を求めて空港でズラっとこちらを取り囲んだ大勢の子供や大人達。イタリアでは南北の経済格差が未だ大きいといいますが、それを目の当たりにするような光景でした。

とはいえ、人、建物、色彩、目に入ってくるものが何でも新鮮です。上の写真は考古学博物館の近く、トレド通りに面した街の様子。私が気に入ったのはお洒落な信号機ですが、こんな低い位置にあったら車を運転していて見難いんじゃないかと案ずる次第。それに、いたずらされそうで心配(笑)

ところでナポリの治安については、1994年のナポリサミットあたりから改善されているそうです。でもガイドさんによると、旅行者は貧困層の多いスペイン地区には近づかない方がいいとのこと。無防備で歩いていると、ひったくりなどの危険があるそうです。それを聞くと、やっぱり平和に過ごせる日本は凄いですが、同時に自分の身は自分で守るという基本的な事を実感させられます。

下の写真はサンタ・ルチア地区の美しい町並み。ナポリは「海と丘の町」と言われているそうですが、納得の景色でした。穏やかなナポリ湾と、それに面して建ち並ぶカラフルな建物は、明るくて陽気な地中海沿岸の風景のイメージそのものでした。


posted by stonez | 2005.10.31 12:56 | Comment(10) | TrackBack(0) | 旅行記
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